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「見る」が武器になる──HMDが変える警備の現場と制度の未来

24 November 2025 at 16:00

万博という制度的舞台における警備の意味

2025年、大阪・関西万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げ、184日間にわたって世界中から約2,900万人の来場者を迎えた。ホスト国・日本が設けた日本館は、その象徴的な存在として、文化・技術・思想の発信拠点となった。だが、この施設が果たした役割は展示や建築にとどまらない。警備という制度的機能の再定義が、静かに、しかし確実に進行していた。

日本館の警備体制は、40名程度の隊員によって運用されていた。通常の施設よりも厚めの配置がなされていたのは、皇族を含む国内外の要人来館が頻繁に予定されていたからだ。警備は単なる安全確保ではなく、公共施設の信頼性と象徴性を支える制度的インフラとして機能していた。

この警備を担当していたのがテイケイだ。同社は2025年6月期の売上高では943億円とセコム、ALSOKに次ぐ業界3位の大手警備会社だ。交通誘導や施設警備を中心とした総合警備会社で、「何事もない明日をつくる」という理念が、日本館のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」と合致。最新技術と人材育成の両面で高い実績を持つことが評価され、警備を任されたという。

そして日本館の警備体制の中核にあったのが、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)の試験導入である。従来の無線通信に代わり、映像・画像・文字情報をリアルタイムで共有できるこのデバイスは、単なる技術革新ではない。「見ること」「伝えること」「記録すること」の再定義を通じて、警備という制度のあり方そのものを問い直す試みだった。テイケイの広報部次長の大部公彦氏は次のように語る。

「これまでは情報の伝達手段として、無線機が主体でした。そのため、人によって話すスピードが速かったり遅かったり、滑舌が悪かったりすると、聞き取りづらくて聞き直す必要がありました。また、電波の状況によって無線が途切れてしまうこともあり、どうしてもタイムラグが発生してしまうことがありました。さらに、一度無線を聞き逃してしまうと、同じ内容をもう一度聞き直さなければならないという問題もありました」

そこで今回、HMDを試験的に導入した。これにより、画像や映像、文字などで情報を共有できるようになり、その結果、「今の何て言った?もう一回言ってもらえる?」というような確認のやりとりが減り、情報が記録として残るので、後から見返すことも可能となった。現場の隊員からは、「利便性が向上した」との声が上がっている。

開発の背景──人手不足と制度的制約の交差点

警備業界は今、静かな危機に直面している。2025年9月時点で、全国平均の有効求人倍率が1.20倍であるのに対し、警備員を含む保安業は7倍の数値を記録している。この異常値は、単なる人材不足ではなく、制度と現場の乖離が限界に達していることを示している。

テイケイのHMDの開発は、こうした構造的課題への応答として始まった。構想の起点は約4〜5年前。従来の警備体制では、防災センターに常駐する人員と巡回・立哨を担う複数名の隊員が必要だった。だが、これを維持するには人手が足りない。そこで「防災センター機能を分散・遠隔化できないか」という発想が生まれた。

「もともと警備員の高齢化や人手不足が進んでいて、従来のように防災センターに人員を配置し、さらに巡回や立哨等にも必要に合わせた人員を使う体制を維持するのが難しくなってきました。そこで、今回の開発では『防災センターの機能を機器に持たせる』ことを目指しました。将来的には、防災盤のような役割を果たし、火災や煙の感知器からの信号も受信できるようにし、警備室が無人でも対応できるようにしたいと考えています。このように、省人化を目的として、この機器の開発が始まりました」(同)

この発想は、単なる省人化ではない。むしろ「警備品質の均一化」「新人の即戦力化」「暗黙知の可視化」といった、制度的信頼性の維持と再構成を目的としていた。開発がスタートしたのは2023年ごろから。

開発チームは施設警備事業部内から選抜された3名の有志によって構成され、トップの意思決定を経て、プロジェクトが正式に始動した。

開発にあたっては、従来の無線通信の限界が明確に意識されていた。滑舌や電波状況による伝達ミス、聞き逃しによる再確認の非効率、そして「言った、言わない」のトラブル。これらを解消するために、映像・画像・文字情報をリアルタイムで共有できるデバイスが求められた。

だが、技術的な実装以上に重要だったのは、「誰でも使える」こと。高齢化が進む警備現場では、複雑な操作は使われない。「使われない技術は制度にならない」という原則が、開発思想の根幹に据えられた。

デバイス設計──「誰でも使える」ことの制度的意味

開発チームは、まず責任者層約100名へのアンケートを実施した。だが、そこから得られた回答は「素晴らしいと思います」「ぜひ導入したいです」といった忖度的な賛同にとどまり、具体的な要望はほとんど得られなかった。そこで1ヶ月以内に現場隊員への再ヒアリングを実施。ここで初めて、実際の使用者が抱える課題とニーズが明らかになった。

現場から上がった声は、極めて具体的だった。

•            装着性の課題:長時間装着に耐えうる軽量設計、出っ張りや威圧感のない形状、帽体(制帽・キャップ・ヘルメット)への対応、眼鏡の有無による視野角のズレ対策。

•            操作性の要望:高齢者でも使える「らくらくスマホ」レベルの簡便さ。2〜3ステップで映像・画像・文字情報にアクセス可能。

•            情報共有の改善:顔写真や車両ナンバーなどの記憶負担軽減。無線伝達の不得手による遅延を補う映像共有。

•            記録とエビデンス:トラブル時の「言った、言わない」問題への対応。労働争議や顧客対応における証拠保全。

これらの声を受けて、開発チームは装着試験を実施。10名弱(男女半々、体型バラエティあり)に装着してもらい、アタッチメント長・ボールジョイント可動域をミリ単位で調整し、万博直前の3月に最終化された。

この設計思想は、単なる技術的工夫ではない。「誰でも使える」ことは、制度的信頼性の前提条件である。

警備という公共性の高い業務において、操作性や装着性が担保されなければ、技術は使われず、制度は機能しない。この原則が、HMDの設計思想を貫いていた。

技術が制度になる瞬間──万博という実証の舞台

設計思想が現場に届いたとき、技術は初めて制度になる。大阪万博はHMDにとって格好の実証運用の場となった。期間限定・高密度・多様な来場者という特殊環境は、警備支援デバイスの性能と限界を試す申し分のないフィールドとなった。

現場隊員からのフィードバックは、設計思想の妥当性を裏付けるものだった。従来の無線通信では、滑舌や電波状況による伝達ミス、聞き逃しによる再確認が頻発していた。だが、HMDの導入により、映像・画像・文字情報の併用が可能となり、情報伝達の精度と速度が格段に向上した。

特に効果が顕著だったのは、要人対応である。

「VIP来館の予定は当日変更が多く、従来は長時間の待機が常態化していた。だが、文字情報による即時共有が可能になったことで、人員配置の最適化と待機時間の有効活用が実現されました。これは単なる効率化ではなく、制度的柔軟性の獲得です。また、映像共有によって、初見の隊員でも対象人物を即座に認知できるようになった。迷子対応や案内業務においても、映像を通じた情報共有がスムーズな連携を可能にし、業務の属人性を排除する効果を発揮しました」(大部氏)

さらに、記録保存機能は、トラブル対応において重要な役割を果たした。顧客や第三者対応の場面で、「言った・言わない」の争いを防ぎ、記録を残すことで警備員自身を守る仕組みとして役立った。巡回ルートの逸脱やサボりの抑止にもつながり、行動の可視化による規律強化が進んだ。

通信基盤は専用Wi-Fiネットワークによって安定運用されており、現場からの映像はリアルタイムで拠点に共有され、必要な情報は拠点から隊員へ配信される。隊員側では通知が自動で表示され閲覧可能。事前講習不要の操作性は、設計思想の成果である。

このように、HMDは単なる新しい道具ではなく、現場の課題に応える仕組みとして実際に機能していた。現場の声を受けて設計され、現場で運用され、現場から再びフィードバックされる。この反復の中にこそ、制度の成熟がある。

展開と課題──制度・技術・現場の三層構造

大阪万博での実証運用を経て、HMDは次なる段階へと進もうとしている。展開の中心は、警備会社が受託するオフィスビル、官公庁、病院などの常駐施設。だが、万博という特殊環境から日常施設への移行には、制度・技術・現場の三層構造を横断する課題が立ちはだかる。

まず制度面では、消防法などによって防災センターの人員配置が義務づけられており、即時の無人化は不可能である。HMDが防災センター機能を代替できる技術的ポテンシャルを持っていたとしても、制度的正当性が担保されなければ導入は進まない。この点で、制度改正との連動が将来的な展望として浮上する。

技術面では、万博での運用において通信安定性・伝達品質は高く評価された。専用Wi-Fiネットワークによる映像・画像・文字情報の即時共有は、現場の即応性を大きく高めた。だが、常駐施設では環境が異なるため、施設ごとの要件差分に応じた機能拡張と再評価が必要となる。GPSによる動線追跡やAI防犯カメラとの連携など、未実装機能の標準化も課題として残る。

現場面では、警備品質の均一化と新人の即戦力化が主眼となっている。HMDによって、顔写真や車両ナンバーなどの記憶負担が軽減され、無線不得手による遅延も補完される。これにより、新人でもベテランと同水準の対応が可能となり、離職防止にも寄与する。人手不足が深刻化する中、定着率の向上は間接的な省人化として制度的意味を持つ。

ただし、現段階では「二人業務を一人化する」ような、直接的省人化は意図されていない。むしろ、「警備品質を落とさずに維持する」ことが優先されており、HMDはそのための付加価値装置として位置づけられている。今後、KPI(伝達エラー率、対応時間、離職率など)の定義と測定が進めば、制度的効果の可視化が可能となり、より広範な導入への道が開かれるだろう。

このように、HMDの展開は、制度・技術・現場の三層構造を横断する調整プロセスである。万博という象徴的空間での実証を経て、日常施設への展開が始まる今、制度的成熟と技術的柔軟性、現場の納得性をいかに接続するかが問われている。

テイケイによるHMD導入についてガートナージャパンのディレクター アナリスト、針生恵理氏は次のように語っている。 「この事例は、警備業界の深刻な人材不足に対し、HMDを導入しデジタルで解決する挑戦として興味深い。多くの企業の現場にいるフロントラインワーカーは、人材不足や早期育成、コミュニケーションの課題に直面している。その意味でも、映像・文字情報の即時共有により、伝達精度と対応速度を高め、属人性を排除して新人即戦力化を実現した点は画期的だ。現状のHMDは装着負担や通信依存、施設ごとの要件差分など課題は残るが、使える領域でテクノロジーを積極的に活用し改善を重ねることで、現場とデジタルの融合が加速する。今後はAIによる異常検知や動線解析、防災センター機能の遠隔化・無人化との連携が進み、警備は『人と技術の協働』へと進化するだろう。大阪万博での実証は、その未来像を示す象徴的な一歩である」

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